ストーリーズ

地獄のような日々を経験し、今では数百億円の資産を築いたトレーダーが高輪のタワーマンションを購入したわけ。

高輪方面の風景

心に穴が空いたような、やるせない日々

国内の著名なトレーダーの中でも三本指に入る程の成功を納めたと言われる男でも、かつては辛酸を舐めるような日々があった。

雄太、1986年東京都生まれ。

高校卒業後、一度は就職したが、何かを思ったかのようにあっさりと退職してしまい、その後はフリーターとして生活をしていたこともあった。

「何か挑戦したい気持ちはあるが、これといってやりたい事もない。」

あの頃の日々を思い返すと、今まで何をするにしても中途半端だった。

小学校時代の習い事、高校時代の部活動とアルバイト。

全て長続きすることはなく、そんな自分が嫌いだった。

雄太は、まるで心に穴が開いたような、やるせない日々を過ごしていた。

雄太に訪れた人生の転換点とは

焼き鳥 瀧口(出典:泡アワーより)

そんな空虚な日々を過ごしていた雄太に訪れた人生の転換点。

それは、雄太が21歳の時に友人と食事に行った時に、意外な形で訪れた。

その友人は、サラリーマンをしながら株式投資をしており、月に数百万円の利益を得ているとのことであった。

「自分にもできるのではないか!株で一旗挙げてやろう。」そう思ったら行動は早かった。

日常の変化がもたらした結果とは

アルバイト時代に過ごした白金高輪

雄太は、アルバイト時代に溜めたなけなしの資金を元手に、比較的短期間で取引を完結させるスイングトレードをメインに株式投資を始めた。

今までの自分が信じられないくらいに、平日はモニターの前に張り付き、株価の動かない休日も経済のニュース、株価のチャート、会社の業績の研究に没頭していた。

そんな日々を繰り返しているうちに、株式投資を始めて僅か半年で資産は3倍にまで増えた。

「このまま順調に資産が増え続けていく。」そう思っていた。

突然訪れた地獄のような日々。

当時住んでいた付近にある泉岳寺

その後も順調に資産を増やしていった雄太の元に、地獄のような日々は突然訪れた。

それは、アメリカの有力投資銀行である「リーマンブラザーズ」が経営破綻し、世界的に株価暴落・金融危機が発生したことが発端であった。

その株価暴落の波は雄太にも直撃し、所有していた株は全てストップ安となり、売却したくても売却できない状況に陥った。

3日も経ってようやく売却するチャンスが訪れたが、雄太は損切りをすることができなかった。

いつもなら損切りのルールを徹底していた雄太ではあったが、「これから上がるかもしれない」という淡い期待を抱いたまま損切りせずにいた。

地獄のような日々を経験し、雄太が徹底したこととは。

度々訪れる品川

こういう時、淡い期待や最後の頼み綱はことごとく裏切られるものである。

損切りせずにいた株は、雄太の思惑とは裏腹に下落していき、所有している株はすべて50%以上のマイナスとなった。

食べ物は喉を通らず、夜も眠れず、生きている心地がなく、まさに地獄のような日々を過ごした。

その後、所有している株を全て売却し、「自分のルールを守る」ことを徹底して株式投資をリスタートしたのである。

雄太が思う株式投資で一番大切な事とは

お気に入りのスポット、プラチナ通り。

今となってみれば、「喉元過ぎれば熱さも忘れる」である。

リーマンショックの経験は雄太にとって貴重な経験となった。

株式投資をする上で一番大事なことは「自分のルールを守る」事である。

その中でも損を確定させる「損切り」に関しては、自分の失敗を素直に認めて損切りをして、次の取引に資金を移動させることが重要である。

その後、自分のルールを徹底した雄太は、年々と資産を増やしていき、株式投資を始めて4年目で1億円の資産を築いた。

また、7年目には資産は大台の10億円を超え、今では数百億円の資産家となったのである。

雄太が住んでいる港区高輪のタワーマンションとは

高輪ザ・レジデンス

数百億円もの資産を築いた雄太は高輪一丁目に位置にする高輪ザ・レジデンスに住んでいる。

高輪ザレジデンスの周辺には、明治学院大学、結婚式場で有名な八芳園だけでなく、寺院や神社も多く点在しており、街全体が落ち着いたエリアとなっている。

雄太ほどの資産規模を以てすれば、手に入らないマンションは皆無だろう。

エリアに関しても東京都内では3A(麻布、青山、赤坂)に代表されるブランドエリアも数多くあり、それらと比べると東京都港区高輪はいまいちパッとしない印象を持つ方も多い。

それではなぜ、雄太はこの地を選んだのだろうか?

もっというと、なぜ高輪ザ・レジデンスを選んだのだろうか?

雄太が描く港区高輪の未来図と投資マインド

品川開発プロジェクト(出典:ImpressWatchより)

高輪ザ・レジデンスからほど近い位置にある「高輪ゲートウェイ駅」の新設、「商・職・住」が揃う4棟の大型ビル「品川開発プロジェクト」の新設など、住宅の購入を投資と考えてみたときに、将来価値の上昇に繋がる好材料が多く揃っていたことも理由の一つである。

今でこそ、再開発の足音が聞こえ始め、その実現が現実のものとなりつつあるが、高輪ザレジデンスの竣工当時から、雄太は住宅のみならず街のバリューを冷静に見つめていたのである。

雄太にとっての株式投資と失敗とは

ビューサロンから望む芝浦方面

雄太にとって株式投資とは、やるせない人生に一筋の光と希望を与えてくれた存在である。

リーマンショックでは地獄のような日々を経験したものの、常に本気で学び、取り組んだ結果が、今の雄太の成功へと繋がったのだろう。

天国と地獄を経験してきた雄太はこう話す。

「諦めなければ失敗は存在しない。失敗は諦めたら失敗になるが、失敗を活かして成功すれば、成功するための経験となる。」