
東京に生まれ、戦時中は静岡で生活を送る日々

1939年生まれ、出身は東京。両親と弟、妹の5人家族の長男として英介は生まれた。
両親は厳しかったが、子供のことを第一優先に考え、たくさんの愛情を注いでくれた。
子供時代は母の手伝いをするのが日課であり、現在の令和時代と違いゲーム機器や携帯電話もない時代なので、当時の遊びといえば傍ら、けん玉やメンコ、駒遊びするのがが一般的だった。
しかし平和な時間が一変する出来事が起きた。
1941年から太平洋戦争がはじまったのだ。
1945年の日本の降伏により戦争は終わりを迎えたが、約3年9ヶ月に及ぶ戦争では、アジア・太平洋の広大な地域が戦場となった結果、敵味方双方でおびただしい数の犠牲者を生みだした。
戦時中の英介は静岡県で疎開生活をする日々を送っていた。

木造2階建ての家に3世帯が共同で暮らしていた。貧乏だったので、満足な食事をとれることは少なかったが、それでも食事を分け合える日は良い方だった。
貧乏という理由でいじめられた経験もあったが、英介自身は素直で誠実な少年に育った。
学生時代から努力を惜しまない英介は中学時代も成績が優秀だった。
その甲斐あって、中学卒業後は他県の工場からオファーをもらい、組立員として社会人のスタートを切ることが出来た。
コンプレックスを抱きながらも独学で学んだ英語力
その後東京へ戻り、本社の修理部門で顕微鏡の修理工となった。
当時本社には大卒のエリートばかりだったが、真面目な英介の仕事ぶりは評判だった。
しかし、優秀な英介に嫉妬をした大卒のエリートたちは、次第に中卒の英介を見下すような態度をとるようになった。
はじめこそ気にとめてもいなかったが、見えない上下関係のようなものは日に日に増していき、英介の中で大学を出ていないことが大きなコンプレックスとなっていった。
そんな時、医療検査機器を取り扱う営業部への配属の話があり、すぐさま部署の異動を希望した。営業で出世をすれば大卒のエリートを見返すことが出来るかもしれないと考えたのだ。
海外営業部への異動も視野にいれていたので営業部へ異動と同時に英語の猛勉強もはじめた。これといったスキルも持ち合わせていなかったので、将来的に繋がる英語力という強みを手に入ることに闘志を燃やしていたのかもしれない。
英語漬けの毎日を過ごすようになり、2年後には英語力にも自信がつき、仕事で活かせるような語学力もついてきた。
退職、そして会社の立ち上げ
営業に配属となり早5年が経ち、海外進出が本格化する中で英語力を兼ね備えている英介は海外駐在員として抜擢された。渡米後は持ち前のコミュニケーション能力や、独学で学んだ英語力を活かして、会社の業績を順調に伸ばしていった。
会社という守られた立場にいる身としては想像も出来なかったが、会社を出てみて、果たして自分がどこまで通用できる人間なのか?挑戦をしたいと思い始めたのもこの頃だ。
その後すんなり会社を辞めた英介は販売代理店を立ち上げて、数十年間で得た知識を活かしながら仕事に奮闘した。
小さい会社ではあったが、お客様と直接関わる機会が多い分、深掘りをした部分まで話を聞くこともできた。
言葉の壁をカバーできるように、レスポンスを早く返すことなど当たり前のことを当たり前に徹底した。
すると最初は話も聞いてくれなかったお客様たちが徐々に話を聞いてくれるようになり、英介は少しずつ信頼を獲得していった。
ベンチャービジネスに乗りだし億万長者への道を歩む
そんな中、その後の人生を決める出会いがあった。
彼はロンと名乗り、ニューヨークで会社や事業売却といった英介の知らない世界で仕事をしていた一人だった。彼は英介にはないものを持っていた。
ここからロン氏との二人三脚が始まり、その後に加わったベンともタッグを組み、
起業のサポートをしては売却をするということを繰り返してきた。
住まいに対する想い

仕事は順調に軌道にのり、今では総資産が日本円で100億円以上ある。
人生が好転するきっかけは幾度となく訪れるが、そのチャンスはいつも一瞬だった。
今はアメリカの高級住宅街に家を買って1年の大半は海外で過ごしている。
1500坪の庭園と邸宅は誇りでもある。
アメリカの家とは別で日本に帰ってくるタイミングで住む家もある。
東京都内の高級住宅街に佇む、麻布霞町パークマンションだ。
数年前に現金で購入した。
日本に帰る度、利用している。

西欧風の伝統的な三層構成でイタリアガーデンの庭園、メインエントランス・グランドロビーは海外にいるようでとても落ち着く。
長年海外にいると、日本のような狭い部屋よりも広い邸宅が英介にとっては落ち着く環境なのだ。
まるで宮殿のような立派な造りに目を奪われる人も多い。
日本にいるときも海外と同じような開放感と安心感でのびのびとした生活を送りたい。
そう思うと、麻布霞町パークマンションの選択は自然だった。
麻布霞町パークマンションについて
マンションの共用部には数々の芸術作品が展示されている。
芸術に詳しいわけではないが、
作品を眺めながらぼーっと物思いにふけるそんな時間は何とも愛おしい。
そのままライブラリースペースで静かに読書をすることも好きだ。
共用スペースと言っても、住民を見かけたことはまだない。
利用している人は少なさそうだが、そこがまた良い。
部屋にはウッドデッキを敷き詰めているルーフガーデンがあり、専有部では特にお気に入りの場所だ。
屋外コンセントや水栓も設置されており、趣味のガーデニングを日本でも楽しめる。
海外滞在時には、家政婦に植物の世話を頼んでいる。
都心の一等地で田舎のようなのびのびとした暮らしを送れるのは、とても良い。
敷地外周には長さ約150mの並木道を配しているので、少し散歩に出かけようとするものなら自然に触れられる。
周辺は閑静な邸宅地なので、住環境含めて文句の付け所がない。
日本の拠点としている麻布霞町パークマンションは静かで居心地の良い生活を送るには最高の場所だ。
肩肘をはらずに心の余裕をもって生活ができているのは、麻布霞町パークマンションの重厚な佇まいから影響を受けているのかも知れない。
まとめ

敷地は角地で、緑に覆われたお屋敷や大使館が建ち並ぶ閑静な住宅街の一角に佇む、麻布霞町パークマンション。
三井不動産の分譲マンションの中でも最高峰のグレードをもつと言われている。
一日の終わりにリビングのソファーでココアを飲みながら明日は何の本を読もうかと考える。
特に何かをするわけでもない何の変哲もない毎日が豊な日常へと繋がる。
麻布霞町パークマンションが理想の一日を静かに後押ししてくれる。
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