
泣く子も黙るほど順風満帆なキャリアを歩んでいるかのように思える。
昌典。1975年東京都生まれ。
慶應義塾大学経済学部卒業後、メガバンク入行。
社費留学にてアイビーリーグの名門校でMBA(経営学修士)取得。
米系金融機関の日本法人を経て、フィンテック領域のベンチャーを起業。
裕福だった幼少期。常にどまん中に居続けた学生時代。

昌典の父は一世を風靡した健康器具メーカーのオーナー社長で、とても裕福な家庭に育った。
幼少期から広尾の邸宅に住み、学校の送迎は当時人気を博したロールスロイスのシルバーセラフ。
本人の意に介せずとも、自然な流れで慶應義塾幼稚舎からエスカレータ式に大学まで進んだ。
運動神経も抜群で、学生時代はラグビーにのめり込み、大学時代は体育会の主将まで務めた。
常に中心、いわば”どまん中”に居続けて、王道を歩み、まさに絵にかいたような人生である。
メガバンクでの活躍とMBA留学へ

そんな昌典は学部を卒業すると、新卒採用でメガバンクに入行した。
常に人気就職先ランキングの常連。日本中から優秀な学生が集まってくる。
ここでもやはり”どまん中”であることが、決め手となって入行を決意した。
昌典は新天地のどまん中でもリーダーシップとクレバーな立ち振る舞いでメキメキと頭角を表した。
昌典のポリシーは一貫して変わらず、常に中心にいて、王道を歩む。
何千人といる行員の中から3人。
倍率は数百倍とも言われる社費でのMBA留学のチケットを掴み取ったのもやはり昌典だった。
世界の”超エリート”たちとの2年間

昌典のどまん中への拘り。しかし、大切なのは”何の”どまん中か?である。
自分の持ち場のどまん中であることは当然として、あらゆるコミュニティのどまん中。
延いては、世界のどまん中こそが、昌典の見ている世界であった。
昌典はあいかわらず「世界のどまん中に挑戦したい」との想いからアイビーリーグへとやってきた。
ここでは、“Employee, not employer.”、言わば最高条件の”Employee”を目指して、2年間の”人生の夏休み”やモラトリアムを楽しむのが定説だ。
昌典も例に漏れることなく、留学中は世界の”超エリート”たちと親交を深め、グローバルな人脈を築いた。
こうして、アイビーリーグのマスター取得者は、最高の組織、最高の機関に就職を果たし、とんでもない額の給与を稼いでいくのである。
東京のどまん中で、仕事に熱狂した日々。

2年間の米国留学から帰国した昌典は古巣のメガバンクには戻らなかった。
昌典にとってのどまん中がメガバンクではなくなっていたからだ。
その代わり昌典はあらたなどまん中を見つけだしていた。
米系金融機関の日本支社であった。
MBA留学で得たグローバルな人脈をフルに活用しながら、クロスボーダーの大規模案件などを取り纏め、着実なキャリアを歩んでいった。
「趣味は仕事」
例えそれが仕事であれ、遊びであれ、熱狂できるものがあることは幸せなことである。
昌典はビジネスの世界にどっぷりと浸かり、莫大な収入を得て、どまん中にいる自分に酔いしれた。
米国留学時代の同期がキッカケとなり。心機一転、新天地での挑戦。

遠い昔、ある方に言われたことがある。
「キミは、最高の会社に入り、最高の収入を得ることが一番凄いと思うか?」
「一番凄いのは、起業家だ。」
「なぜなら、彼らはリスクを取っている。」
まるで”Can you take a risk?”と問いただされているような気分だった。
齢が40歳を越えて以来、色んなことを考えるようになった。
MBA時代の友人たちの中で、本当に優秀な人は独立や起業をしている。
いつまでも優秀な”Employee”でいる人は、やりたいことが見つからなかった人だけ。
“Can you take a risk?”という問いへの答えを昌典は見い出しつつあったのである。
真に自分にとってのどまん中と、人生を捧げてでもなし遂げたいこと。
だから、アイビーリーグ時代の同期と、フィンテック領域のベンチャーをスタートアップすることに迷いはなく、これからは”Employer”として、どまん中を歩むことを決意したのだ。
どまん中に居続けたい。どまん中で挑戦し続けたい。

昌典のどまん中への拘りは住宅にまで及ぶ。
「あなたにとって東京のどまん中はどこですか?」
この問いに対する昌典の答えは一つ、それは「ロッポンギ」である。
「東京のどまん中に暮らしたい」との想いから、六本木周辺に住まい続けてきた。

どまん中に住まう昌典の朝は早い。
早朝の涼しげな風と新緑の香りを浴びて、檜町公園でジョギングを楽しむのである。
心地よいスタートを切るには、この街こそが最もふさわしいことを昌典は経験上よく知っている。
どまん中で闘い続けるためには、心身ともに健康であることが必須条件なのだ。

六本木、とりわけ東京ミッドタウンは、東京でも選りすぐりのレストランが集積している、ファッショナブルなプレイスだ。
まさしく、どまん中の場所である。
昌典が舌鼓を打つのもやはり、このどまん中のレストランだ。
東京のどまん中とは思えないほどの豊かな自然が窓の外には広がり、季節ごとにその色を変え、繊細な味わいに華を添える。
これがこの街に住まう醍醐味の1つであると昌典は言う。

水の潤い。木々がそよぐ音。驚くほど広い空。
東京のどまん中にいることを忘れてしまいそうなほどの自然に包まれ、豊かな時間が流れる。
それは、檜町公園に面した最高の立地だからこそ成せる芸当である。
東京のどまん中で挑戦し続け、疲れ果てた時に英気を養ってくれるものは、この癒しの空間であると昌典は話す。
昌典のどまん中であるという拘りやお眼鏡に適ったのは、どうやらパークコート赤坂檜町ザタワーであったようだ。
確かに、どまん中である。

当然、昌典にとっての住宅選びは、どまん中でさえあれば良いのではない。
かといって流行りや最先端でさえあればいいわけでもない。
昌典が選んだどまん中には、日々の暮らしを満たしてくれる「上質」や「快適」が豊富に揃っている。
そのことは、この場所で暮らしているからこそ実感できたことだと、昌典は言う。

東京のどまん中は色んな表情をまとっている。
夕刻になり街灯に明かりがともり始めると、東京は一気にその表情を変える。
昼から夜へ。緊張から緩和へ。知性から感性へ。
そのさまを眺めているだけでも、この街に暮らすことの醍醐味を知ることができるようだ。

夕陽が沈み、都市の風景がシルエットに変わるころ。
東京のどまん中は、昼間とは違った賑わいを見せはじめる。
どまん中が色めいてくるのだ。
この瞬間の東京が一番美しい、と語る人は多い。
東京のどまん中から眺める夕暮れ、この場所だからこそ享受できる贅沢。
東京のどまん中にはありふれた一日など存在しない。
そんな七変化のようなどまん中だからこそ、昌典を魅了して止まないのだ。
昨日と違う今日があり、今日と違う明日がやってくる。
そんな日々の中で、東京のどまん中に拘り、挑戦し、自己実現を果たし続ける昌典。
秘めたる闘志を燃やしつつ、どまん中での戦いはしばらく続きそうだ。
さて、明日は何が待っているだろう。