
聡(さとし)は妻の咲(さき)と娘の唯(ゆい)の3人で南青山のマンションに住んでいる。
南青山に住み始めた理由は、唯の教育のためだった。
聡は、広島の田舎出身だ。中学~高校は地元広島で過ごした。
その後は東京大学の法学部に入学。法律に興味はなかったが、「それなりの収入を得ることのできる職業」と考えた時に、何かを解決することに喜びを感じるという聡自身の自己分析の結果、前者を目指すことにした。
弁護士の勉強を始めたとき、参考書の分厚さに衝撃を受けたものだが聡は心折れることなく猛勉強を続け、司法試験に合格した。弁護士になった今でも当時のことを思い出すことがある。あのときは人生で一番勉強をしたと言っても過言ではない。
司法試験合格後は某四大法律事務所に入所。
大手日本企業によるアジア太平洋地域におけるグローバル展開の支援をメインに行っていた。現在は、国内外企業による企業買収取引の助言、一般事業会社への民事商事法分野での助言等を行いつつ、企業買収案件やジョイントベンチャー案件等も、豊富な海外ネットワークを駆使して遂行している。
仕事ぶりが評価され30代後半でパートナーへ昇格した。年収もトントン拍子で上がり、今では1億円近くになっている。
その後、アソシエイト時代から苦楽をともにしてきた咲と結婚。翌年に娘の唯が生まれた。

唯が成長し、夫婦で小学校の話をすることが増えてきたころ、聡は唯を公立と私立、どちらに通わせるべきかで葛藤していた。
聡自身が公立上がりということもあり、咲との話し合いの末、公立小学校へ入学させることを決めた。
かくして、唯は教育環境が整っていて中学受験への意識が高いと言われる今年で開校115周年の伝統ある青南小学校へ通うことになった。

聡の友人の医者や官僚の子供たちは小学校から私立に入学させているケースが多かったので、入学当初は話を聞くたびに「公立で大丈夫か?」と不安になったが、家族で夕飯を食べている時に、娘から学校であった楽しかったことを聞くたび、過保護になっている自分に気づかされた。
公立小学校でも問題はない。唯が楽しそうに学校生活について話す様子を見て、青南小学校に入学させたことは間違いではなかったと今でも思う。
子育てについて、聡も咲も子供に自分たちの理想を押し付けるようなことをするつもりはさらさらない。ただ、親として子供をサポートする意味でも、学校の情報収集等出来ることは自ら進んで行っていた。
「親になれば親の気持ちがわかる」と両親には言われていたが、子供を持った今、その言葉の本当の意味が分かる。

ある日、娘と話をしていると、おもむろに「慶応義塾中等部に行きたい」と話があった。もともと勉強は得意な方ではあった唯だが、話を聞いているとどうやら意志は本物だった。志望動機はとても単純なものだ。「唯の仲の良いお友達が慶應義塾中等部へ入学するために塾でお勉強を頑張っているので負けたくない。」と唯が闘志を燃やしたのだった。
その後、新4年生の2月からの猛勉強の末、唯は第一志望の慶応義塾中等部への入学が決まった。大好きなピアノやヴァイオリンの習い事、家族旅行も我慢して毎日ひたすら勉強を継続してきた唯は立派だ。
唯の進学先により引っ越しを考えていた聡ではあったが、そんなある時、慶應義塾中等部のある三田駅周辺に新築のマンションが竣工されることをネットで知るのであった。

ザ・パークハウス三田タワーとの出会い
ザ・パークハウス三田タワーは三菱地所レジデンスと旭化成不動産レジデンスが売主の23階建て、総戸数111戸、港区三田2丁目に聳え立つ新築高級分譲シリーズのタワーマンションだ。
なんといっても慶應義塾中等部まで徒歩で5分の距離にある。
早速購入に向けて内覧予約をして訪れてみたところ、まだ2021年3月に竣工したばかりということもあり 共用部分のほとんどは養生されていたため、どういう空間になっているかは想像しづらかった。
ただ、ザ・パークハウスシリーズのマンションを分譲している三菱地所が売主だ。その時点で聡は安心感があった。実は今住んでいる賃貸マンションも三菱地所のシリーズだからだ。なんとなくだが、仕様はわかっている。

「ザ・パークハウス三田タワー」の一階にはエントランスホールがあり、その横にはソファやテーブルが設置されているラウンジがある。ラウンジは重厚感のあるダークトーンの家具たちが備え付けられ、落ち着きのある住空間を演出している。

ラウンジの窓から眺める緑の美しさは圧巻の一言だ。
ザ・パークハウス三田タワーはイタリア大使館の森の周辺の景観と繋がっているような植生となっている。
建物周辺にはイロハモミジや山桜など、都心の中心にいるとは思えないほどの自然を享受できる。身近な場所で自然を感じられることが出来る環境は、子供の教育だけでなく聡自身にとっても良い影響を与えていた。
マンションの立地・周辺の再開発について

ザ・パークハウス三田タワーは、1968年に竣工した「メゾン三田」の建替により誕生した。標高13m程の位置に所在し、大通りから内に入った「第一種住居地域」に属している。
マンション西側道路の向かいがイタリア大使館になるポジションで、南西~西にかけてイタリア大使館大使館や綱町三田倶楽部の緑が広がっている。
近年は、マンション周辺で再開発も行われている。その一つが、「三田一丁目計画」である。これは「旧東京簡易保険支局」の跡地の再開発で、既存建築物の意匠や素材の一部を継承したマンションが建設予定となっている。
地上14階、地下2階、高さ45.5mの5棟構成で、総戸数約1,100戸の大規模な開発だ。三井不動産レジデンシャルと三菱地所レジデンスの2社が事業者となっている。

また、麻布十番駅近くの港区三田小山西地区でも同様に再開発が行われる。約1,450戸の共同住宅をはじめとして、オフィスや店舗、公園を一体で開発するとともに、近傍の麻布十番エリアへつながる動線を設け、緑溢れる広場や歩行者空間を整備予定とのことだ。この「三田小山町西地区第一種市街地再開発事業」の再開発に伴う準備組合は白金ザ・スカイよりも総戸数が大きい。
三田周辺は今後も注目のエリアだと聡は思う。
専有部について

聡は2部屋内覧をした。2LDKと3LDKの部屋を内覧した結果、子供部屋だけでなく、書斎も作りたいという理由から3LDKのプランのものに決めた。
今回内覧をした部屋は対象外にはなるが、22~23階に設けられたプレミアム住戸では、天井高を最大2.7mとし、より開放感を感じられる仕様になっているようだ。
まとめ

タワーマンションの醍醐味であるスカイラウンジやゲストルーム等の「共用施設」が少ないので、多様な施設が付随しているマンションを思い描いているとイメージと異なるだろう。
ザ・パークハウス三田タワーは余分なものをそぎ落とし、「住」の質を高めたタワーマンションと言える。
子供の教育に重きを置いた引っ越しになるので、この三田エリアでの新築物件、不満はない。なにより、利便性と落ち着いた住環境、特に大使館と隣接している立地というのは、聡にとってセキュリティ面でも安心であった。
強いて言うのであれば、エレベーターが2基のみなので、時間帯によっては混み合うことがあるのか?とその程度のことは想定している。
家族の幸せを願う聡にとって、多少のことは正直気にならなかった。
混むのであれば空くまで待てば良い。
休日は家族で自宅付近の代々木公園へ行くことが多かったが、これからはマンションから徒歩10分程の距離にある芝公園へ行く機会が増えそうだ。